福島で生きるということ
まず、訪問をしたのは、社会福祉法人さくら保育園
2011年3月11日の半年前に、新築移転をしていました
震災の時は、子たちは午睡中
先生は職員会議で、たまたま職員がフル出勤でした
地震の強い揺れがあっても、免震基準を満たしている園なので、園舎が倒壊する心配はなかったそうです
子どもたちと先生はホールに集まり、過ごしたそうです
さくら保育園は福島市渡利という地域にあり
震災直後は放射線量が福島市内で一番高い地域でした
すぐ近くには山があり、震災前は子どもたちは山を散歩し
自然をたっぷり味わいながら過ごしていました
しかし、一番放射線量があるということで、文科省が除染の対象としたそうです
あの安斎育郎氏が5月8日に園にやって来て、測定・除染活動が始まりました
(現在の園庭)
土壌をはがし、園庭に埋めます
また、屋根の真下は雨水が垂れるため、線量が相当高い
そのため、保護者が線量を低くする方法として
水の入ったペットボトルを敷き詰め、その上にすのこを置き
子どもたちが移動ができるように工夫をしたそうです(今は線量が下がったためしていない)
園庭はしっかりy除染をしたので、園庭内は線量は0・2μ㏜前後になりました
しかし、園庭の外は除染していないので、近くの野山はまったく行くことが出来ないのです
松ぼっくりなど、放射能がしみ込んで、遊べぶ事はできない
放射能汚染の影響で、自然とのふれあいが一切なくなったそうです
しかし、保護者が子どもたちが学校がするため道路を歩かなくてはいけないが
道路を歩く経験もなく、無事に登校できるかも心配
散歩をさせてほしいという要望を受け
安斎育郎氏の協力も得て、散歩コースを放射線測量をしました
そして、線量の比較的低いところを散歩しています
現在は園庭での外遊びもしている
しかし、ここまでの歩みは、たやすくなかった
保護者と先生が繰り返し話し合い、安斎郁郎氏などの専門家から放射能について学び
一つひとつ、納得・合意を得ながら保育をすすめたそうです
「放射能について、これなら大丈夫という基準が今はない。低ければ低いほどいいに決まっている。線量だけの数字で、いいとか、悪いとか言うのではなく、しかし、現在の線量がどのくらいなのか、事実を知ることは大切。その中で、ここで生きて生活をする中で、自分たちが納得できる基準や、生活スタイルを一つずつ作っていった」
と園長先生
(園のフェンスのすぐそばにある、モニタリング測定器)
子どもたちに安全な食材を・・・ということで、地元の業者さんや農民連からの食材など
徹底した食材管理をしています
また、野菜や魚など切り刻まなくてもいい放射能測定器の購入し
毎日、抽出検査、10検体ぐらい検査しているそうです
園の栄養士さんが、データーを解読しし(不明なときは専門家に聞く)
食品の安全管理をしています
園長先生は
「何か将来あっても、それに負けないような丈夫な体を作ることが大切、と思っている」と言われていました
私は、福島に来て感じたのは以下のこと
その地域に人が生活をしている、生きているということ
単純に線量の高い・低いではなく、正確な数字を知ることはとても大切だが
数字だけがすべての判断基準ではない
福島ではその地域で生きていくため
できるだけ安全に生活をするための工夫や、並々ならず努力をしているのです
福島県内外の問題のとらえて方が違う・・・・というのを、とても感じました
リスクがないわけではないが、今のリスク・将来のリスクを考え
この地でどう生きていくのか・・・を現地の人は必死に模索しながら生きているということを強く感じました
今日はその後、わたり病院・きりん学童を視察
また後日報告をします