ひろ子ワールド

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日本共産党の福山市議会議員の河村ひろ子です。2012年4月に福山市議会議員に初当選。2016年4月の市議選で2回目の当選。市議になる前は介護現場で17年働いてきました。特別養護老人ホーム・デイサービス・ケアマネジャーなど勤めました。福祉を良くするため、また2人の子どもを持つ母親としても、平和な社会を築くため全力で頑張ります。日々の活動内容や私の思いを発信すますので、よろしくお願いします!

2017年 08月 04日 ( 1 )

少し早いお盆休みをいただきました

丹後半島を周り、美しい日本海を眺めました

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毎日仕事ばかりですが、心にゆとりと潤いが必要だと痛感です

あ~自然って本当に素晴らしい(^^)!

数十キロ先には原発がある

美しい自然を残さねば

さて、丹後半島から舞鶴市へ

「ユネスコ世界記憶遺産登録」の舞鶴引揚記念館に行きました

1945年(昭和20年)

当時海外に残された日本人は660万人以上とも言われます

第二次世界大戦の終結にともない、すみやかに帰国させなければなりませんでした

これを「引き揚げ」というのです

舞鶴港は、政府が指定した引揚港一つとして、昭和20年10月7日の第一船の入港から

昭和35年9月7日の最終船まで、13年間も引揚者を受け入れたのです

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舞鶴では主として、旧ソ連(ロシア)、中国などの大陸からの引揚者を迎え入れました

13年間に66万4531人の引揚者と、1万6269柱の遺骨を受け入れました

終戦時、大陸に残された日本人およそ60万人がソ連へ送られ

その内の約47万2千人がシベリア各地のほか、コーカサス、北極圏等の収容所で長い年月、辛い抑留生活を強いられたのです

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私が住む福山市内でも、シベリア抑留され舞鶴港から帰って来られた方々がおられます

以前、ある方から話しをきいた事があります

「シベリアは極寒、飢えと病気と寒さで多くの仲間が亡くなった。亡骸を埋めたくても、土が凍り土を掘ることも出来なかった。毎日毎日、厳しい労働をしてなぁ・・・」

ゴツゴツの手を見ながら、涙を流しながら当時を語る姿が忘れられません

そのような厳しい抑留生活を終え、日本に帰国する気持ちは

どんなに嬉しかっただろうか・・・・

そして、遺骨で帰国せざるをえなかった方の家族はどんなに辛かっただろうか・・・

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我が子や夫の帰りを待つ歌 「岸壁の母」

以前、介護の仕事をしていた時にお年寄りの方とよく歌っていましたが

こんな、深い意味があったのだと改めて痛感しました

戦争は悲しみと憎しみしか生み出しません

一部の人々が権力を握り金儲けをするだけです

戦争はしてはならない・・・改めて感じました

しかし、舞鶴市内を車で走ると

「海上自衛隊 舞鶴教育隊」の看板

自衛隊の教育場があり

海上自衛隊なので、港には何隻も自衛艦が・・・・

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これが日本の現実

「引揚記念館」と、軍事強化の海上自衛隊の存在に大きなギャップを感じます

「戦争へ行った家族の帰りを待つ」

・・・こんな悲劇は繰り返してはなりません




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by kawamura0827 | 2017-08-04 12:05 | Comments(0)

日本共産党の福山市議会議員の河村ひろ子です。2012年4月に福山市議会議員に初当選。2016年4月の市議選で2回目の当選。市議になる前は介護現場で17年働いてきました。特別養護老人ホーム・デイサービス・ケアマネジャーなど勤めました。福祉を良くするため、また2人の子どもを持つ母親としても、平和な社会を築くため全力で頑張ります。日々の活動内容や私の思いを発信すますので、よろしくお願いします!


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